井田進也校注『幕末維新パリ見聞記』(岩波文庫)の注などに関する疑問いくつか

成島柳北の「航西日乗」と栗本鋤雲の「暁窓追録」を収めた『幕末維新パリ見聞記』(岩波文庫、2009年)というのを読みました。校注は井田進也という人。中江兆民の研究を中心にされていた方のようです。2016年没。

基本的にこの本の注はいいもので、柳北の方はパリやイタリア各都市における訪問先の比定が助かるし、鋤雲のかなり難解な語彙は注なしでは読むのはきつかったと思います。しかし、ところどころ信じがたいミスや程度の低いおかしなものが混じっているんですね。校注者やそれを手伝った人の問題もあるとは思いますが、それ以上に編集者の杜撰な仕事が気になります。というわけで、目についたものを挙げました。注以外にも、読み下しとルビの指摘もあります。

以下、疑問のある部分を本文と注をあわせて引用しています。行頭*の後に引いたのが該当箇所の注。引用の際、ルビは省略しました。ただしルビに問題があるものについては()内に入れて示しています。

航西日乗

明治五年壬申の*九月(p.9)
*壬申 みずのえさる。五行を甲・乙のように兄(え)と弟(と)に分けた十干と十二支を組み合わせた暦年の数え方。明治五(一八七二)が壬申の年に当たる。(p.181)

この注は特に問題があるわけではないのですが、この本の最初の注がこれであるという点から取り上げていいかと思いました。成島柳北の「航西日乗」を読もうとする人に干支の説明が必要と考えるセンスのなさ。この時点で、すこし警戒をしました。

馭者曰く、是れボウガハアの寺*なり。(p.28)
*ボウガハアノの寺 島の中央部にある世界遺産ポロンナルワ(Polommaruwa)の仏教遺産(p.185)

柳北一行は、スマトラ島ゴール港で「ボウガハアノの寺」なる寺に寄っています。日帰りの訪問。この寺を注では世界遺産ポロンナルワと認定していますが、直線距離にして200km以上あるところに日帰りで行けるとは思えず、また日乗の記述からそのような長距離旅行をしたようには見えません。ゴール港近傍の寺でしょう。

人定連房灯影残 人定りて、連房灯影残す。(p.39)

凡例によると、底本では漢詩が漢文で、校注者が「読み下し文を添えた」とのこと。この「人定」は人が寝静まる時刻を意味すると思われ、「人定りて」と読むのは違和感があります。

今朝甲板より望めば、右にはエルバ島を望み*、左にはコルシカ嶋を瞻る。(p.40)
*右にはエルバ島を望み 通常ポート・サイドを出たフランス郵船は、イタリア半島シチリア島の間のメッシナ海峡、次いでコルシカ島サルディニア島の間のボニファチョ海峡を抜けて一路マルセイユへ直行するのだが、この船はコルシカ島を右回りに迂回してマルセイユを目指したようである。(p.187)

エルバ島コルシカ島の間を南から北へ抜けてマルセイユに行く場合、コルシカ島は「左回り」するのであって、「右回り」ではありません。

唱出東京旧竹枝 唱へ出だす、東京の旧竹枝*。(p.57)
*竹枝 男女間の愛情や土地の風俗などを題材にした唐代の歌。ここでは江戸時代以来の都々逸の類だろう。(p.197)

異郷パリで新年を迎えたときの詩の一節。江戸後期から明治前期にかけて流行した、日本における竹枝についてまったく無視しているのは不可解です。柳北自身も作っていたはず。

哂彼驪山錮九泉 哂ふ、彼の驪山に九泉*を錮すを。(p.59)
*驪山 唐の都長安に近い驪山には温泉があって温泉宮が作られていた。(p202)

ナポレオンの廟を訪問した折の詩の一節です。とすればこの「驪山」は始皇帝陵を指すと考えるのがいいように思います。「九泉」はあの世の意。「温泉があって云々」は玄宗楊貴妃を想起させますが、ここでは関係ないでしょう。そもそも温泉というのが唐突な感じがあります。ひょっとしたら「九泉」という字面から温泉を思いついたのかもしれません。

加非店*に憩ふ。其卓椅多く石を以て造る。(p.92)
*加非店 北側回廊中ほどで現在も営業しているカフェ・フロリアン(Florian)(以下略)(p.220)

ヴェネツィアサンマルコ広場にあるカフェ・フローリアンは「南側」の回廊であって、「北側」ではありません。フローリアンからは50年ほど遅れるものの、これまた歴史のあるカッフェ・クアードリとの混同でしょうか。こちらは「北側」の回廊にあります。

暁窓追録

明治己巳(こし)三月(p.140)

底本で干支にルビがついていたと思えませんし、また凡例によると「新たに新かなづかいのルビを付した」とのこと。ひょっとしたら「こし」という読みもあるのかもしれませんが、新たにつけるなら一般的なものを使うべきでしょう。

歴山港には烏鴉多く有り、皆白頭なり。燕丹の事*、深く奇とするに足らず。(p.171)
*燕丹の事 燕の太子丹が秦の始皇帝に刺客を放とうとしたときに、白色の虹が太陽の面を突き通す異変が起こったという故事(『史記』「鄒陽伝」)。(p.258)

ここで挙げるべき故事はもちろん烏頭馬角です。

政府又検屍場*・投売場*二区の設けあり。(p.175)
*検屍場(以下略)
*動産公売場 ロッシーニ街を挟んで、旧オペラ座の斜向かい、ドゥルオー街の角にある動産公売所(以下略)(p.261)

本文と注の見出しが異なるという、信じがたいミス。