観世音菩薩表徳碑(東京都台東区谷中・全生庵)

翻刻
慈眼視衆生 独園拝書「」
常念観世音菩薩「」(観世音菩薩画像)「鐵舟」
福聚海無量 滴水拝書「」
広群鶴刻
(碑陰)
観世音菩薩表徳碑
千葉立造君妻名曰冨喜性敦慤貞実年四十罹病漸篤
一日召子女懇諭後事及夜半気息奄奄君将報親戚冨
喜曰待明旦亦不晩君問其故冨喜曰妾二十一歳時有
感焉願観世音菩薩以豫知死期苟知死期従容待命無
醜態爾来昼夜念之十八年死期之至菩薩必有告乎因
安睡少時忽然開眼曰今呼妾曰尚早矣誰也一座無呼
之者乃又歎曰是焉知非菩薩告妾哉妾必不死矣後果
如其言遂回生云嗚呼菩薩妙応可仰信而冨喜一誠亦
可称矣君将立石以表之於是鐵舟子画菩薩像掲以正
国師所書尊号独園滴水二師亦各書其経中偈益皆
有所感也而叙其概者高橋精一也
 明治二十七年三月    泥舟居士撰併書

【年月】明治27年3月
【撰文】(碑陰)高橋泥舟
【筆者】白隠、鐵舟、滴水、独園/(碑陰)高橋泥舟
【石工】広群鶴
【所在】全生庵台東区谷中)
【概要】
鐵舟筆の観音像が彫られた石碑で、他に白隠による尊号、滴水と独園の偈、更に碑陰には泥舟による建碑の経緯がつづられている。浅学のためはっきりと意味がつかめないところもあるが、観音信仰による奇蹟で、重い病にかかった人が生き返ったというようなことだと思う。奇跡の本人は、鐵舟の侍医である千葉立造(愛石)の妻。真後ろに塀があって碑陰は見づらい。また一部損傷している。印は「鐵舟」以外読めなかったので空欄にした。ご教示いただければ幸いです。鐵舟、私淑する白隠、師滴水及び独園、そして泥舟となかなか役者のそろった名碑だと思う。
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