葵正観世音菩薩碑(東京都台東区谷中・全生庵)

翻刻
東照宮守護仏 昆首竭磨作
正観世音菩薩
  普門山全生菴
(碑陰)
葵正観世音者南天竺昆首竭磨之作而  欽明帝
朝自西天所伝之霊像也爾来転旋伝鎌倉右大将及
室町氏代々将軍深加尊崇後留日向大慈寺又在洛
東福寺支院長慶寺我 東照宮崇尊尤厚竟遷之江
戸城毎月十八日修行観音懺法祈願天下泰平殊以
徽号葵字冠焉慶安二年天寿院殿建立普門山大慈
寺於大塚上街以刑部卿局為之開基香花久薫然維
新之際為廃寺故奉迎之余家供養匪懈明治十六年
一月創草一宇於北豊嶋郡谷中村号普門山全生菴
乃安置葵正観世音余概挙其来由以告後之渇仰者
 明治十六年五月  正四位山岡鐵太郎誌
寄附人名/本山国泰寺檀中
南兵吉/金田耕太郎/南清太郎/上庄六三郎/小川善三郎/金田八左衛門/南与平/岩間覚平

【年月】明治16年5月
【撰文】(碑陰)山岡鐵舟
【筆者】山岡鐵舟
【所在】全生庵(東京都台東区谷中)
【概要】
全生庵の本尊である葵観音の由来について記した碑。欽明帝のころに渡来し、頼朝、また室町将軍代々に伝わりという大げさな伝承もついている様子。平安時代後期の作と考えられ、日向・大慈寺から京都・東福寺塔頭・長慶寺に移り、さらに江戸に。大塚・大慈寺に安置されるも廃寺となって、明治16年全生庵の本尊として迎えられたとのこと*1。塀のすぐ前に建っているため碑陰をみるのは難しく、何枚もの写真を撮ってなんとか読むことができた。裏はわりと状態いいが、表はそれなりに傷んでいる。破損と変色があるので、戦時中に爆弾の被害でも受けたのだろうか。
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