松平春嶽「逸題」

権貴争登猿若坊、彩棚呼酒伴紅妝。吾生不喜区々技、坐見乾坤大劇場。

木下彪『明治詩話』(岩波文庫)に「昔は大名はもちろんのこと、士大夫は芝居など見向きもしなかった。それが明治に崩れ、貴人は争って妓女を携え猿若に走った。詩はこれを嘲笑して自ら王侯の気宇を表している」(p.93)と言う。

「棚」は小屋の意で、「彩棚」で芝居小屋のことだろう。芝居を「区々技」と腐している。「乾坤大劇場」は南宋・載復古「夏日雨後登楼」の「今古両虛器、乾坤百戯場」を踏まえるか。

早稲田の演劇博物館逍遥記念室に、「乾坤百戯場」と書かれた逍遥の書が掛けられていた。これは、グローブ座のモットー「Totus mundus agit histrionem」の漢訳という。もちろんその通りなのだろうけど、これもまた載復古の詩から取ったのではないかと思う。