大阪旅行3泊4日

そろそろどこかに旅行に行こうかなと考えていたところ、大阪市立美術館がリニューアルのための長期休館前に大規模なコレクション展をしているとのことで大阪にした。残念ながらそのコレクション展はそれほど自分には刺さらなかったし、それ以外の美術館も好みの展覧会ではなかったり休館中だったりで、展覧会という観点から言うとあまりいい時期ではなかったようだけど、古墳や寺社などの名所はよく、楽しい一人旅だった。

要約

  • 古墳の植樹は日清戦争の賠償金?
  • 大山古墳前方部の石棺
  • 四天王寺法隆寺の伽藍配置
  • 大阪の広群鶴と家隆墓
  • 軽里大塚古墳の拝所にせまる新しめの家々
  • 頼信と義家の墓の寂しげな感じ
  • 道明寺天満宮にあった名碑
  • 渦巻状に描かれた螺鈿の四条風俗図
  • 三津寺の上にビル
  • 昭和32年の車両

1日目

3日目と4日目の天気が怪しいとのことで、百舌鳥と古市の古墳巡りは1日目と2日目にすることに。そこで早起きして新横浜駅始発ひかり533号に乗車。後発の東京駅始発ののぞみに抜かれないように速く走るひかりとして鉄オタには有名らしく、なにかの機会に知ったもの。これがあれかと少し感慨を覚える。8:12新大阪着。ホテルは東横イン東梅田で大阪メトロ谷町線堺筋線南森町駅が最寄駅。大阪メトロ御堂筋線で梅田駅、東梅田駅まで歩いて谷町線に乗車して1駅の南森町駅に到着。ホテルに荷物を預けて、駅に戻り大阪メトロ堺筋線天下茶屋駅へ、南海高野線に乗換えて堺東駅に到着。堺市役所の21階展望ロビーへ。大山古墳の形を見るにはこの高さでも足りないようだ。観光案内所で地図を手に入れて田出井山古墳、方違神社を経て大山古墳へ。三国ヶ丘駅のみくにん広場にも寄って、拝所へ向かう。周濠に白鷺や青鷺の姿を見つつ、外側の濠に土橋があり、そこにわずかに古そうな石の柵が残っていた。かつての柵なのだろうか。拝所へ。絶好の天気に新緑も相まって最高の景色だった。そこにはボランティアの人がいて、少し話をした。古墳の森は日清戦争の賠償金を使って植樹したものだなんて興味深いことを言う。あとでざっくり検索したところ、そんな話は出て来ないけど念のため記しておく。植樹してはいそうだし、時期的にもそこまでおかしくはないような気もする。また大山古墳は常緑樹でこの時期がよく、上石津ミサンザイ古墳は落葉樹で晩秋がいいと。あえて変化をつけて植樹したのかもしれない。堺市博物館に行くと、大山古墳の前方部から発見されたという石室・石棺図(原本は八王子市郷土資料館蔵)およびそれをもとにした模型が。この図は國學院大學博物館の「好古家たち」展で見たものだ、柏木貨一郎のだとちょっと興奮。ほかに慶長大火縄銃(現存日本最長)や隋の観音菩薩立像(白檀の一材製、目や唇に彩色、重文)あたりに目が行く。その後、上石津ミサンザイ古墳へ。周濠が1重ながら広くてなかなかいい雰囲気。とはいえ古墳はもういいかなということで、JR阪和線で上野芝駅から天王寺駅へ行き四天王寺へ。西の石鳥居から入って西大門をくぐり金堂と五重塔を目にすると、伽藍配置が法隆寺と同じじゃないかとびっくり(左右は逆だけど)。伽藍配置の変遷図を見てるだけだと気づかなかったけど、両者はそれほど違いがないのだなと感じた。建物自体は新しいものなのでとくに感慨もなく。六時堂は江戸時代のもので流石に魅力的だった。宝物館では白隠などを展示していたが、松陰寺と永青文庫の所蔵品の複製。よく確認しなかった自分も悪いとはいえ、こんなのに金をとるのかと。石鳥居の扁額など数少ない常設展示はいいものだったけど。四天王寺を出て、最古の企業金剛組の前をとおりつつ北上、家隆塚の手前によさげな石碑を発見した。もしかして広群鶴?なんて冗談交じりに思いつつよく見ると、まさかの大当たり。大阪にも広群鶴の刻碑があったのか。しかも2基も。右は日岡阡表。幕末の紀州藩士・国学者の伊達千広(宗広)の阡表で、子の陸奥宗光撰、日下部鳴鶴書。左は原敬による陸奥宗光追慕碑。七言絶句に建碑の理由を添える。家隆塚の側には享保年間の古碑従二位家隆卿墓碣銘幷序。かなり破損しているがなかなか趣がある。その後北上しつついくつか寄ったが、疲労困憊であまりよく見ず。写真を確認すると、浄春寺の田能村竹田墓を見ていないようだけど、理由を思い出せず。生國魂神社もさらりと流してしまい、西鶴像を見忘れてしまった。その西鶴などがある誓願寺へ。門前に石碑があり西鶴や中井甃庵・竹山・履軒の墓がある旨が記されていたが、「井原西鶴先生墓」の上は削られているのだろうか?墓地に伺って、何度も写真などで見た西鶴墓にお参り。散らばっている中井家3人の墓にも。どこかで見たことがあるようなタイプのお墓。当時の形式のひとつなのだろうか。近松門左衛門の墓にも行った後、契沖の旧庵で墓もあるという円珠庵へ。残念ながら契沖の墓は非公開らしく、またどうもスピリチュアル方面に傾斜しているようで、見学者はあまり歓迎されないようだ。真田丸跡を抜けて三光神社真田の抜穴跡を見学、大阪メトロの玉造駅から南森町駅へ、ホテルに戻る前に大阪天満宮に寄る。道真の生涯を人形で表した菅家廊下というのが非常にいい出来で驚いた。つづいて成正寺で大塩平八郎の墓を参拝したが、ずいぶんと新しいものに見えた。どういう由緒があるのだろう。ホテルに行ってチェックイン。喫煙可のお部屋3泊ですねと確認されてびっくり。間違えたのかわからんが仕方ないのでそのまま受け入れて部屋へ。幸いにも部屋は臭わず。ただ3日目に少し暑かったので冷房を入れると、臭い冷気が出てきたので、やはり禁煙の部屋にしないと。なお、大阪のタバコの状況は東京に比べるとかなりひどいと思った。歩きタバコや吸殻ポイ捨ては庶民的なミナミだけでなく、キタでもかなり見かけた。このとき17時ころ。ホテルでぐったりしたあと、梅田駅の方へぶらぶら。お初天神を見て、551蓬莱梅田阪神店で夕食。ホテルに戻って眠りについた。

2日目

この日は古市古墳周辺を巡る日。とりあえず葛井寺に行こうと谷町線天王寺駅へ。大阪阿倍野橋駅から近鉄南大阪線に乗車するも乗り間違えて古市駅まで行ってしまう。仕方ないのでまずは軽里大塚古墳へ。拝所周辺にわりと新しそうな家がびっしり建っており、ちょっと不思議な感じ。雰囲気が壊れているようにも思えるが、仕方のないところか。白鳥神社に寄ったあと、古市駅に戻って近鉄南大阪線上ノ太子駅へ。ふと逆側の出口に出てしまうというアクシデントが有りつつ、叡福寺へ。廐戸皇子の墓の可能性が高いという叡福寺北古墳を見てると、小学生の一群が先生に引率されて古墳前に並び、みんなで般若心経らしきものを唱えだした。某宗教系の小学校で、こういう形でも宗教教育を行っているようだ。古墳の脇にある太子廟窟偈碑もいい碑だった。側面には龍が彫られている。江戸時代辺りだろうか。下部は欠損しており、亀趺は後補か。首や足を引っ込めた状態なのはなにか理由があるのだろうか。いまざっくり画像検索した限りでは出している方が普通のようだ。叡福寺を出たあと伝馬子墓、もどって西方院、そして源氏三代の墓へ。標識にしたがって頼信と義家の墓に向かうとなんとも怪しげな雰囲気。というよりほとんど無くなりかけているような道を通ってたどり着いた2人の墓はなんとも寂しげな感じだった。とくに八幡太郎がこんな扱いなのは意外に思う。江戸時代、徳川家にとっては重要な人物だったと思うのだが。通法寺跡と頼義の墓に参拝したあと、壺井八幡宮へ。上ノ太子駅へ戻り、再び古市駅に降りる。誉田八幡宮に行くと立派なフジが。白藤らしいけど、検索してもこのフジのこと花のことがあまりでてこないのはなぜだろう。誉田山古墳の拝所は今まで見た中でもっとも雰囲気のあるものだった。大山古墳は車通りの多い道に面しているし、ボランティア含め人も多い。上石津ミサンザイ古墳も道沿い。軽里大塚古墳は先述のように家が密集している。しかし、この誉田山古墳は道路から離れて奥まっており、周囲に何もなく静かな場所だった。道明寺はちょうど月に2回の御開帳の日。山門の陰のベンチで本を読んでいるじいさんがなかなかいい。旅行中、外で紙の本を読んでいる人を何人か見かけた。つづいて道明寺天満宮へ。注連柱がかっこいい。明治45年藤沢南岳撰書。しかしそれより素晴らしいのが八島君之廟窟碑。もとの墓石が朽ちたので元文5年に再建したものだとのこと。八島君之廟窟碑建碑由来碑が側に建っているがこれもまたいい。ちょっと場所が荒れているというか草ぼうぼう。もうしこし整備してほしいなあと思った。ただ公式サイトに石造物のページがあって、翻刻や解説が充実。すばらしい神社だ。道明寺駅から近鉄南大阪線で大阪阿倍野橋駅へ。大阪市立美術館に向かう。天王寺公園の中を進み、旧黒田藩蔵屋敷長屋門をくぐると美術館のサイドへでた。なんで西側を向いているのだろう?建設当時は通天閣の方が正面であるべきだということだろうか。美術館はアプローチがわりと重要だと思う。交通の便から行くと天王寺からのアプローチが多いと思うので、すこし残念なことになっているような。大阪市立美術館で開催中の華風到来はコレクション展で中国美術とその影響をうけた日本美術を主題とするもの。併設展示として大阪市立美術館の歩みとコレクション。キャプションに一言コメント、そして解説ともにクセがあるというか笑いを入れようとするところ、大阪の流儀なのか。正直ちょっと抵抗があった。また展示もあまり好みの作品は多くなく。気になったのをいくつか挙げる。伏生授経図は作者が伝 王維だという。青銅 呉王伍子胥図画像鏡の自刎している場面。青銅 雷文鍑と青銅銀錯 雲気文鏊は生き物のようで、また愛らしい。沈府君神道闕拓本は以前早稲田大学會津八一記念博物館で見ていいなあと思ったもの。相変わらずいい。石造 四面像(109)の側面の化け物。青磁象嵌 葡萄唐子文瓢形水注はどういう技法なのだろう。そして唐子がかわいい。こんな絵も描くのかと思った橋本関雪の讃光。人物鳥獣模様綴織覆布は8世紀コプト(エジプト)のものだという。布が残っているというのは凄いな。正倉院法隆寺などでの伝来品ならともかく出土品で残るのは乾燥した気候だからか。青銅 鴟鴞形水滴がまたかわいい。美術館を出て通天閣へ。キッチュなところがすこぶる大阪だなあと。恵美須町駅から大阪メトロ堺筋線南森町駅、ホテルに戻る。

3日目

ホテルを出て南森町駅から大阪メトロ谷町線谷町四丁目駅へ。大阪城天守閣へと向かう。ぐるりと回って玉造口から楼門を通ってオープンの9:30ころ到着。あまり解説を読む気分でもなく、展示物も惹かれるのは少なかったが、四条風俗図螺鈿大盤というのが素晴らしかった。中央に祇園社、周囲にぐるりと渦を巻くように四条通りの賑わいが螺鈿で描かれる。下に車輪があって回るという。天守閣を出て極楽橋を渡り京橋口から京橋を渡って藤田美術館へ。無駄を削ぎ落としたこだわりの美術館らしく、わりと受けがいいようだが、個人的にはあまり好みではなかった。とりあえず受付台くらいは置いておいたほうがいいと思う。一方、列形成のためのベルトパーテーションは使ってたりする。あれは完全に浮いているので取っ払ったほうがいいのでは。初訪問の人にはもろもろ分かりにくいのでスタッフへの依存が大きそうな施設だと思った。展示室は見やすくていいけど。去夏帖を手に入れていたのか。寸松庵色紙に墨映りあり。曽根崎通り銀橋を渡って泉布観と旧桜宮公会堂。造幣博物館はサラッと流して、南森町駅から谷町線東梅田駅、梅田駅まで歩いて大阪メトロ御堂筋線なんば駅へ。551蓬莱本店で食事後、法善寺、法善寺横丁、道頓堀商店街、戎橋を渡って三津寺に行ってみたら工事中。ビルを建てるらしい。本堂貴重じゃなかったっけ?とおもったら本堂残して上に被さるように建てるとのこと。安心したけど、なかなか強引だ。大丸心斎橋店は建て替え前に一度行ってみたかったなあ。もちろん今でもすてきだけど。北上して湯木美術館。「金工の茶道具と釜の魅力」という渋好みの展覧会。古銅桔梗口花入とかいくつか惹かれたのもあったけど、楽しむのは難しいものだった。淀屋橋を渡って日本銀行大阪支店、大阪中之島図書館大阪市中央公会堂をながめて北浜駅から大阪メトロ堺筋線で動物園前駅まで、そして今池駅から阪堺電気軌道阪堺線に乗車。ずいぶん古い車両だなあと確認すると、帝国車両昭和32年。65年前だ。すごいな。なお車内アナウンスが人口音声という対比がまたいい。調べてみるともっと古いのもあるようだ。住吉鳥居前駅についたのは16時ころ。住吉大社は4つある本殿の配置がおもしろく、実物を前にすると不思議だなあと。楠珺社と卯の花苑が16時までで入れなかったのが残念。帰りは別ルートを取ろうと、南海本線住吉大社駅から天下茶屋駅へ大阪メトロ堺筋線に乗車して南森町駅、ホテルへ。

4日目
最終日。ホテルをチェックアウト後、南森町駅へ行き、大阪メトロ谷町線谷町四丁目駅を出て、難波宮から越中井を経て大阪カテドラル聖マリア大聖堂へ。設計は長谷部鋭吉で、1963年落成。とてもすてきな建物だった。玉造稲荷神社では阪神淡路大震災で倒壊したという秀頼寄進の鳥居を見学。太子が戦勝を祈った神社だという。そのあと大阪歴史博物館へ。10階の古代は力が入っておりとてもおもしろく見学した。複製品とはいえ日本最古の万葉仮名木簡が見れたのはうれしい。それ以外の階はずいぶんと薄味に感じた。展示スペースがそれほどないのに巨大模型を作り、実物展示や解説が不十分、時代もどんどん飛ばされていって、なんだかなあという施設だった。最後に万博記念公園を目指し谷町四丁目駅から大阪メトロ谷町線で大日駅、大阪モノレール線に乗り換えて万博記念公園駅へ。太陽の塔を見つつ、国立民族学博物館に至る。とてもおもしろい施設であることは間違いないんだけど、ボリュームが多すぎでざっと見ていくに留めた。万博記念公園駅にもどり大阪モノレール線千里中央駅へ、北大阪急行電鉄に乗り換えてそのまま御堂筋線に入り、新大阪駅着。