歌枕 あなたの知らない心の風景|サントリー美術館(2022.6.29~8.28)

歌枕をテーマとした展覧会。期待していたけれど、あまり面白いとは思わなかった。展覧会のテーマには馴染みにくいのかなあと。分量的には新書1冊くらいはほしい主題で、サン美規模の展覧会だと表面をなぞるのが精一杯という感じがした。作品もいまひとつ惹かれるものがない。各所から作品を借用した特別展。

「第一章 歌枕の世界」では歌枕を描いた屏風の展示。吉野・龍田・宇治。後期では武蔵野が扱われたものもある由。記号的な表現。

「第二章 歌枕の成立」では古筆を中心とした展示。勅撰集を重視して、その古筆切を選んでいた。なぜか銀箔が撒かれている逸翁の関戸古今。羅文が美しいMIHOの筋切など。ここは展示替え多い。

「第三章 描かれた歌枕」では、歌枕の絵画表現を見ていく。中世から江戸時代にかけての記号的な表現と実景や写実を意識した表現と。英一蝶の《朝妻舟図》(板橋区立美術館蔵)がわりと好き。

「第四章 旅と歌枕」。平安貴族にとっては単なる記号的地名で実際に訪れることは殆どなかったけれども、後世になって実際にその地を巡る人たちが出てきたことについて。柳沢吉保六義園記》(郡山城史跡・柳沢文庫保存会蔵)が目についた程度。

「第五章 暮らしに息づく歌枕」は関連する工芸品の展示。長良橋の廃材を利用した文台とか。記号的な表現にも変化が見られることとか。

物語を読む染織品|女子美術大学美術館歴史資料展示室(2022.6.8~7.16))

女子美術大学杉並キャンパスの歴史資料展示室の片隅のコレクション公開でコプトの染織品が展示されていたので訪問した。大阪旅行したときに市美術館でコプトの人物模様綴織覆布に感銘を受けて以来、気になるジャンルだった。

展示はわずかに10点で、しかもすべて大きくはない裂だが、非常に魅力的な作品が揃っていた。収蔵品データベースにすべて画像込で収録されていたのでリンクを貼っておきたい。伝来や出土に関する話がなかったのは残念だった。1000年以上土中に眠っていたのだろうか。

①踊る人物模様裂

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②騎馬模様裂

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豊穣の女神デメテル。赤い発芽植物の花瓶はコプトのテーマと呼ばれるほど頻出する。

③人物模様裂

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アテネ誕生のモティー

④人物動物模様裂

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ドット絵のモンスターみたいなのがかわいい。

⑤踊る人物模様裂

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インベーダーゲームの敵みたいな感じもある。かわいい。

⑥海神の行進模様裂

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女神ネレイデスや少年トリトンなど

⑦踊る人物模様裂

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ディオニソスが農民とともにぶどうの収穫を祝う場面

⑧人物模様裂

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旧約のヨセフの一生がモティーフ。中央に寝ているヨセフ。周囲に夢の中でエジプトを旅する様々な場面。昔の漫画みたいな感じの人物。かわいい。

⑨騎馬模様裂

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ヘラクレス、ネメアの獅子。

⑩人物鳥獣模様裂

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いわゆるナイル模様。水辺に魚や鳥、釣りの場面など。



なお歴史資料展示室のメイン展示は「菊坂の女子美」というものだがよくわからないのでスルーした。

鹿島茂コレクション2『稀書探訪』の旅|日比谷図書館文化館(2022.5.20~7.17)

鹿島茂の古書コレクションを展示する展覧会。展示数は146点。

「グランヴィルと同時代のイラストレーターたち」はグランヴィルやドレなどの版画や挿絵本など。グランヴィル画の《動物たちの私生活・公生活情景(2巻本)》(7)は冊子本1冊がのぞきケースに、また壁葉面に十数葉の彩色版画が展示されていた。すばらしい絵。また《ジェローム・パチュロ 社会的地位を求めて》(10)も素敵。他の画家ではドレ画のフォンテーヌ《寓話》。

「19世紀のモード新聞とファッションアルバム」はあまりそそられないジャンル。「パリの景観図」では写真《1937年パリ博覧会》(39)の木造で50メートルの高さに及ぶというアルマ門。興味をもってざっくり検索してみたけど、全然情報が出てこないのが不思議。

「パリ風俗観察集」もあまりピンと来ず。「絵入り風刺新聞とカリカチュール・アルバム」では《アンリエット・オ・ブール》(74)のヴァロットンが担当した48号は魅力的だった。「アール・ヌーヴォーアール・デコ期の挿絵本、同時代のグラフィック資料」はジャン・コクトー著、シャルル・マルタン画の《貴社は、自社の栄光と商品の素晴らしさを慈しめ。それらを良しと思うなら、貴社の利益は社会全体の利益となるはずだからである。》(90)が圧巻。デザインができるまでを10ほどの図に戯画的に描かれたものだが、摺りの美しさがすばらしい。

つづいて「絵本・児童書」。モーリス・ブテ・ド・モンヴェル著・画《ジャンヌ・ダルク》(111)は、のぞきケースに冊子1冊と壁面に版画が10葉ほど。子供のころ見たことがあるような絵。当時はあまり好きではなかったけど、今見ると味があっていい。摺りも美しいし、子供用でこの出来は贅沢な時代だった。同じくモンヴェル画の《子どもの正しい礼儀作法》(112)もいい。

「絵入り風刺新聞・雑誌以外のグラフィック新聞・雑誌」では小口木版の超絶技巧に驚いた。《ポルトレ・コンタンポラン》(125)は非常に細密な描写で銅版画と区別する自信はない。「挿絵入り小説と図版入り博物学書」ではエミール・バヤールがよかった。《レ・ミゼラブル》(129)の有名なコゼットの絵や《ヴィクトル・ユゴーの生涯》(140)など。

光陰礼讃 ―モネからはじまる住友洋画コレクション|泉屋博古館東京(22.5.21~7.31)

春翠とその子息、寛一および友成の収集にかかる住友の洋画コレクションを展示する展覧会。

「1 光と陰の時代 ―印象派と古展派」は外国人作家の作品10点がならぶ。印象派を光、アカデミックな古典派を陰と表現しそれらを展示。ルノワール1点とモネ2点が出ていたそれなりといった感じ。フランス国外に少なく、当然日本でも珍しいというヴィニョンも1点あったが、それより古典派の作品の方が印象深かった。とくにジャン=ポール・ローランスの大作《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》はすばらしい作品だった。

「2 関西美術院と太平洋の画家たち」は上記の陰の流れを汲むもので、ローランスの弟子となりまた春翠の収集に協力した鹿子木孟郎や浅井忠などの作品が13点並ぶ。ここでは渡辺興平《ネルのきもの》と取りたい。鹿子木の作品にはさほど魅力を感じなかった。また浅井は油彩1点と水彩5点。悪くはないが。

「3 東京美術学校派と官展の画家」は1の光の流れを汲むもので、藤島武二などの作品が8点。和田英作《こだま》は石版複製が作られるほど人気を博したという。真正面を向いた半裸の女性が両手を耳に添えて聞こうとしている絵で、不思議と引き込まれる作品だった。斎藤豊作《秋の色》は水辺の木立が黄色く色づいている。その黄色が燃えるような雰囲気なのも含め、鮮やかでコントラストの強い色使いが魅力的。

「4 岸田劉生とその周辺」は、大正中期ごろの寛一の収集品で、岸田劉生中川一政が7点。不気味とかグロテスクと言われがちな劉生だけど、むしろユーモアを感じる。近美の《田村直臣七十歳記念之像》と同じく頭が大きくデフォルメされた《自画像》について、ベレー帽に和装なことに触れつつ「29歳の洋画家には見えない」とキャプションは言うが、ならば何に見えると言いたかったのだろうか。私は「マンガ家」に見えたし、また彼の描く絵がマンガやイラストのように見えた。これは貶めているわけではなくて、そういう傾向があるという意味。その上で、劉生は非常に魅力的で力のある絵を描く人だなあと思う。この展覧会でもっともすばらしいと思った絵は《二人麗子図(童女飾髪図)》だった。麗子が2人いて、一方が他方に髪飾りを取り付けるという奇妙な図。

「5 20世紀のパリと日本」は、1930年代から40年代前半の友成の収集品。ピカソ、ルオー、シャガールと日本の画家の計13点。さほど印象には残らなかった。

ホールに彫刻2点。日名子実三《腰かけた女》と山本芳翠《虎石膏像》。

最後に「【特集展示】住友建築と洋画―洋館には洋画がよく似合う」で野口孫一設計の須磨別邸とそこに飾られた絵画について。田村直一郎というよくわからない人の量感たっぷりの不思議な絵もおもしろかった。ただ、それよりも、須磨別邸は戦時中空爆を受け中にあった美術品とともに焼けたとのことだが、その中に黒田清輝《朝妝》があったというのが目を引いた。焼けたのは知っていたが、こういう事情だったのか。


自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで|国立西洋美術館(2022.6.4~9.11)

ドイツ・エッセンのフォルクヴァング美術館と西美の所蔵品を主とした展覧会。出品数102の内、フォルクヴァング美術館所蔵品などは37点で、ほかはほぼ西美の所蔵品・寄託品だった。つまり60%超は西美のもので、これで値上がりした特別展料金を取るというのは貧すれば鈍すならぬ貧すれば貪すという感じがあり、あまりいい気持ちはしなかった。リニューアル・オープン記念というなら、むしろこれを常設展料金で見れるよくらいのサービスは欲しいところ。とはいえ、お久しぶりのもあったり、違う場所で見ると印象が異なったりと、展示自体は悪くはなかった。コレクションが増えてきて、常設の展示室は手狭になっているとも言えるか。

「Ⅰ空を流れる時間」「Ⅱ〈彼方〉への旅」「Ⅲ光の建築」「Ⅳ天と地のあいだ、循環する時間」の4章に分かれるが、よくわからなかったので章立ては無視して、印象に残った作品を挙げたい。以下、西美はNM、フォルクヴァング美術館はMF。

マネ《嵐の海》(8, NM)。ストロークでも描き分ける海と空は海の割合が多く不安定な感じを醸し出し、嵐の海の怖さを見事に描き出していると思う。小品ながら良作。最近入手した作品で、いい買い物している。モネ《ルーアン大聖堂のファザード》(10, MF)。全体的に紫に彩られたなかにぼんやりと描かれながらも、大聖堂は存在感が強い。ルノワール(18, MF)。ルノワールは風景の方が好みの作品が多い。

クールベ《波》(32, MF)。となりに並ぶ見慣れた西美の《波》と色合いが全く異なっておもしろい。こんなクールベもあるのか。ビュオ《サン=マロ湾の断崖》(35, NM)。銅版画。額のように四方を囲んでいるものの中に人物や植物・風景などが書き込まれていて不思議な感じがする作品。シワがよっており状態がよくなさそう。あまり見る機会はないかも。ブレダン《善きサマリア人》(38, NM)、同《魔法の家》(39, NM)。ルドンに影響を与えた人らしい。ともにリトグラフ。細かい描写がすばらしい。ゴーガン《扇を持つ娘》(51, MF)。ゴーガン好きなんだよなあ。そしてこれはいい絵。

ドニ《踊る女たち》(78, MF)とモネ《陽を浴びるポプラ並木》(79, NF)。この2作のならびはよかった。ともに垂直性を志向する絵画。

夕日岡阡表(大阪市天王寺区・伊達家 陸奥家 墓所跡)

翻刻
日岡阡表
日岡在大阪四天王寺北数百武外以其葬二位壬生家隆卿世呼曰家隆塚先考嘗過此地悲卿善倭歌名重古今而其塚則堙没於榛莾中購而修之取
卿倭歌中詞命以此名更相攸其側建碑勒歌定為留魂之場家兄宗興因蔵遺骨于此使不肖宗光表其阡先考称千広号自得居士宇佐美氏幼為叔父盛
明君所養冒伊達氏伊達氏与宇佐美氏皆世為紀伊藩士先考年十二承家読書以敏捷称祖母伊達氏常誡曰男児当為天下士如名止一藩則非吾所望
於汝也先考感奮励精匪懈学大進遂受遇藩侯累官至勘定奉行政多所匡輔既而議不与当事者合褫職禁錮于国老安藤氏邑田辺城家兄亦坐削籍而
宗光則去遊学于四方後十年藩侯始覚其冤解先考之禁以禄家兄及後家兄以国事獲罪于藩先考亦坐幽者三年 皇室中興宗光任外国事務局権判
事在大阪家兄則任藩執政先考乃来寓大阪尋与宗光移于東京居五年以病歿実明治十年五月十八日也距其生享和二年五月二十五日得年七十有
五遺命荼箆於北郊以八月二十五日葬于此岡先考好学考拠精確所見多出於人意表少時嗜詩既而嘆曰詩擬他邦之言者豈能得発性情之真哉乃従
本居太平翁学倭歌遂有名於世太政大臣三条公手書倭歌宿老四大字以贈焉明治十年一月 内廷倭歌宴会使議官兼侍講福羽美静等伝 勅徴其
所詠蓋異数也先考初不喜仏及幽于田辺城除仏典外書籍紙筆皆不許資給乃借一切経誦読四五年略通其説特喜禅理及遊京師参禅僧越溪于妙心
寺所造益深常曰凡我邦事物其昉於上古而行於今日者唯倭歌為然吾願其伝之永弗墜也若夫存妙理於言外則莫善於禅也乃述以歌詞其味無窮因
寓禅旨於倭歌自号曰倭歌禅誘掖後生諄諄不倦及其罹疾講習益力衆或諫之曰意之所適未必深害也疾革諸子請遺言乃笑曰吾齢踰七十而汝等亦
各得其所吾復奚言哉従容詠歌如不知病在身者著有大勢三転考余身帰行于世文集一巻歌集三巻其他数種尚蔵於家先考為人清癯如不勝衣而気
宇高邁胆識絶人臨事能断是以為世所敬重而其獲禍亦在此也其在幽中曰禁錮亦出於君命幽室即吾官署也危坐不失礼容者十年如一日常好誦随
縁自在語亦越溪手書贈者蓋先考出処暗与此語符而其剛毅堅忍随乎所遭不少変者雖出於天禀然学問之功居多焉配即伊達氏生三女養成田行朋
君第五子配長女以為嗣即家兄也次適人伊達氏先没継娶渥美氏有子女八人是為宗光母二女皆嫁人季為議官中島信行妻又有三庶子余皆夭家兄
官嘗至広島県権令而宗光今承乏元老院幹事是皆先考庭訓之所致而未能有報其万一也哀哉乃涕泣謹以表
明治十年九月建        男元老院幹事従四位陸奥宗光撰文    大書記官従五位日下部東作書    広群鶴刻字
【書下】
日岡阡表
日岡は大阪四天王寺の北数百武の外に在り。其の二位壬生家隆卿を葬るを以て世呼びて家隆塚と曰ふ。先考嘗て此地を過ぎ、卿倭歌を善くし名古今に重くして、其塚則ち榛莾の中に堙没するを悲しみ、購ひて之を修し、卿の倭歌の中の詞を取り以て此名を命じ、更に相攸(あらた)めて其側に建碑し歌を勒し、定めて留魂の場と為す。家兄宗興、遺骨を此に蔵するに因り、不肖宗光をして其阡を表せしむ。先考千広と称し自得居士と号す。宇佐美氏なり。幼にして叔父盛明君の養ふ所と為り、伊達氏を冒す。伊達氏と宇佐美氏とは皆世紀伊藩士為り。先考年十二、家を承け読書敏捷を以て称せらる。祖母伊達氏常に誡めて曰く、「男児当に天下の士為るべし、名を一藩に止むるが如きは則ち吾の汝に望む所に非ざる也」と。先考感奮し励精懈らず、学大いに進み、遂に藩侯の遇を受け、官を累ね勘定奉行に至り、政を匡輔する所多し。既にして議当事者と合はず、職を褫(うば)はれ、国老安藤氏の邑田辺城に禁錮され、家兄も亦坐して籍を削らる。而して宗光則ち去て四方に遊学す。後十年藩侯始めて其冤を覚り、先考の禁を解き禄を以て家兄に及ぶ。後家兄国事を以て罪を藩に獲て、先考も亦坐し幽する者三年。皇室中興し宗光外国事務局権判事に任じ大阪に在り。家兄は則ち藩の執政に任ず。先考乃ち来りて大阪に寓し、尋(つい)で宗光と与に東京に移り、居ること五年病を以て歿す。実に明治十年五月十八日也。其生るる享和二年五月二十五日を距て年を得ること七十有五なり。遺命により北郊に荼箆し八月二十五日を以て此岡に葬る。先考学を好み考拠精確、所見多く人の意表に出づ。少時詩を嗜み既にして嘆じて曰く、「詩は他邦の言を擬する者、豈能く性情の真を発するを得んや」と。乃ち本居太平翁に従ひ倭歌を学び、遂に名世に有り。太政大臣三条公、倭歌宿老の四大字を手書し以て焉(これ)に贈る。明治十年一月内廷倭歌の宴に会(たまたま)議官兼侍講福羽美静等をして勅を伝えしめ、其詠ずる所を徴す。蓋し異数也。先考初め仏を喜ばず。田辺城に幽するに及び仏典を除くの外は書籍紙筆皆資給を許さず、乃ち一切経を借り誦読四五年略其説に通ず。特に禅理を喜び、京師に遊ぶに及んで僧越溪に妙心寺に参禅し、造益する所深し。常に曰く、「凡そ我邦の事物其上古に昉(なら)ひて今日に行ふ者は唯倭歌のみと為す。然れば吾れ其伝の永く墜ちざらんことを願ふ也。若し夫れ妙理の言外に存するは、則ち禅より善きは莫き也。乃ち歌詞を以て其味の無窮を述ん」と。因て禅旨を倭歌に寓し、自ら号して倭歌禅と曰ふ。後生を誘掖し、諄諄として倦まず。其の疾に罹るに及んで講習益ます力む。衆或ひは之を諫むれば、曰く、「意の適く所未だ必しも深く害せざる也」と。疾革り諸子遺言を請ふ。乃ち笑ひて曰く、「吾れ齢七十を踰へ而して汝等も亦各おの其所を得たり。吾復た奚ぞ言はん哉」と。従容として歌を詠じ、病の身に在るを知らざる者の如し。著に『大勢三転考』、『余身帰』、『行于世文集』一巻、歌集三巻、其他数種尚ほ家に蔵す。先考為人清癯(せいく)衣に勝(た)へざる如くして気宇高邁、胆識人に絶し、事に臨み能く断ず。是れを以て世の敬重する所にして其の禍を獲るも亦此に在る也。其の幽中に在りて曰く、「禁錮も亦君命に出づ。幽室は即ち吾が官署也」と。危坐して礼容を失せざる者十年一日の如し。常に好んで随縁自在語を誦す。亦越溪の手書して贈る者なり。蓋し先考の出処暗に此語と符す。而て其の剛毅堅忍、随乎遭ふ所に少しも変らざる者は、天禀に出づると雖も然も学問の功多きに居る。配は即ち伊達氏。三女を生む。成田行朋君の第五子を養ひ、長女を配し以て嗣と為す。即ち家兄也。次で適人伊達氏先きに没す。継で渥美氏を娶り子女八人有り。是宗光の母為り。二女皆人に嫁し、季は議官中島信行の妻為り。又三庶子有り。余は皆夭す。家兄官嘗て広島県権令に至る。而て宗光今乏しきに元老院幹事を承く。是れ皆先考庭訓の致す所にして未だ能く其万が一に報ずるところ有らざる也。哀しい哉。乃ち涕泣謹みて以て表す。
【年月】明治10年9月
【撰文】陸奥宗光
【筆者】日下部鳴鶴
【石工】広群鶴
【所在】大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町・伊達家 陸奥墓所
【概要】
大阪旅行中に見つけたもの。谷中の石工・広群鶴による刻碑が大阪にもあったのかと驚いた。
ここは陸奥宗光やその実父・伊達宗広など伊達家・陸奥家の墓所だったところだが、鎌倉・寿福寺境内に改葬。この碑と原敬による陸奥宗光追慕碑(広群鶴刻)、宗光の娘清のために建てた地蔵がなぜか残った。
立派な碑であり状態もよく名石工の冴えた腕が堪能できる。

生誕110年 松本竣介|神奈川県立近代美術館 鎌倉別館(22.4.29~5.29)

松本竣介の生誕110年を記念しての展覧会。松本の作品は25点で、うち油彩が13点。また松本夫妻が編集した雑誌『雑記帳』挿絵の諸家による原画31点、また『雑記帳』やスケッチ帖、スクラップブック、松本宛のはがきなど資料などが展示されていた。資料は神奈川県立美術館所蔵のものと個人蔵のもの、作品の所蔵は松本の油彩1点を除いてすべて神奈川県立近代美術館の所蔵品。同時に小企画として、堀江栞という人の作品も展示されており、もともと広くはない展示室に、松本以外の作品が多く展示されるというところ、すこし残念ではあった。

近美のコレクション展示でいくつか目にして惹かれたことから、たくさん作品を見れると主って鎌倉まで足を運んだのたけど、かるく肩透かしを食った感じがある。とはいえ、今まででは一番まとめて作品を見て、あらためてすてきだなあと。また、色んな人の影響が垣間見えるところもあった。

やはりいいのは《立てる像》。風景と人物の縮尺があっていないため、世界から孤立しているように見える、悲しげな自画像。ほか、風景がいい作家だなと思う。聖橋風景とか橋(東京駅裏)あたり。