頼山陽「赤関遇大含禅師師将東遊観富岳賦贈」

吾来泛火海、君往上富山、相逢赤関下、握手蹔破顔、雖無酒腸海不測、自有詩格山難攀、共把醒眼評山海、采真帰来重合歓、取吾火海火、融君富山雪、煎君雲華喫七椀、四腋生風凌列缺、与君下視大八洲、海如蹄涔山如垤。
禅師不解飲。其山産茶、名曰雲華。此回亦与余茗飲劇談。故云。

文政元年3月24日、西遊中の山陽は下関(赤関)にて、富士登山に向かう旧知の僧大含(雲華)と出会う。雲華は下戸なため、酒の代わりに彼の寺で産した茶(雲華と名付けられた)を飲みつつ、旧交を温めた。その時に送った詩。「無酒腸海不測」は下戸であることをいい、酒を飲んでないので酔眼ではなく「醒眼」と言う。

「喫七椀、四腋生風凌列缺」は唐・盧仝の「七碗茶歌」の「七碗吃不得也、唯覚両腋習習清風生。」に基づき、山陽雲華2人のため「四腋」とした。空を飛んで「列缺(稲妻)」を凌ぐ。

山陽が行くとしてる「火海」は肥(火)の国である肥後の海。その火で富士山の雪を溶かしてしまおうという、地名を使った戯れ。また空を飛んで地上を見下ろせば、海は「蹄涔」つまり蹄でできた凹みに水がたまった程度の小さな水たまり、山は「垤(蟻塚)」のように小さく見えるね。

伸びやかで明るく空想的な詩で読んでいて心地いい。

谷口匡『西遊詩巻:頼山陽の九州漫遊』(法蔵館、2020年)で知ったものであり、以上参考にした。上に挙げたのは「西遊詩巻」版で、のちに『詩鈔』『詩集』にも採られるが小異あり。

また谷口は「采真」について「自然に任せて作為を弄さない境地。『荘子』天運篇に見える言葉。」と注しているが、よくわからない。山陽の叔父杏坪の息子(つまり山陽の従弟)采真ではなかろうか。人名であれば帰ってきたので重ねて合歓すると意味が通る。采真がこのとき下関にいたかはよくわからないけれど。