青磁輪花茶碗 銘《馬蝗絆》(東博蔵)についてのいくつかのこと

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E0002038 青磁茶碗 銘馬蝗絆 - 東京国立博物館 画像検索

馬蝗とは?

銘《馬蝗絆》は、一般的に鎹をイナゴに見立てた命名であるとされます。いくつかの解説を並べて細かく見ると「馬蝗」は大きなイナゴを指すとか、馬の背または尻尾にとまったイナゴの意味だなどと違いが見られますが、ともかくイナゴ説です。イナゴ説でない場合でみられるのは、「馬蝗」とは何かを指摘せずに解説されるケースでしょうか。例えば『大正名器鑑』第6編では「建築辞彙に、日本にて鎹をいふを支那にては馬蝗絆といふとあり」のように。

しかし、そもそも中国語で馬蝗はヒルを意味します。そして、馬蝗絆の馬蝗もヒルであるという主張があります。

岩田澄子「青磁茶碗『馬蝗絆』の語義について」(『茶の湯文化学会会報』No. 75、2012年、PDF)。

このなかで岩田さんは、馬蝗はヒルを意味しイナゴを意味しないこと、ぴったりとくっ付くという意味の慣用表現のひとつに比喩として馬蝗が使われているものがあるなどの理由から、馬蝗絆の馬蝗はヒルを意味すると主張されています。語義、形状、性質から考えて、馬蝗はヒルだと考えるのが妥当でしょう。

岩田さんによると、かつては馬蝗が何であるかという説明がなかったが、後にイナゴ説が出てきたようです。前者の例が1964年のもので、後者の例が1997年のもの。この30年ほどの間にイナゴ説が生まれ広まり、その後定着したのでしょうか。

イナゴ説を採ると困ったことが起きるんですね。蝗はイナゴなわけですが、馬をどう解釈していいかわからない。そこで馬にとまったと考えるのが1つ。馬の背であるとか馬の尻尾であるとか部位を特定する根拠は不明。いずれにせよ、この見立てだと青磁茶碗自体を馬に見立てることになりそうで、あまり感じ良くありません。

ならば馬蝗という種類のイナゴがいると考えればどうか。実際には存在しないのですが、もしいるとするならば馬で形容していることから大きそうな気がします。というわけで大きなイナゴに見立てたという説が生まれたのでしょうか。しかし、あの鎹を大きなイナゴに見立てるというのは無理がありそうです。なぜなら通常のサイズのイナゴより鎹は小さいのですから。

個人的には、イナゴに見立てているということ自体に強い違和感があったので、ヒルであるという説を聞いてすっきりしました。

寸法

歪みのない茶碗ではないので測る所によって数ミリの違いが出るのは理解できます。しかし、高さが9.6cmなのか6.5cm程度なのかは誤差では済まない違いなので、どちらかが間違えていると考えるしかありません。3つの寸法が一致する上の2つは共通する測定値を使っており、近い値をとりつつばらけている下3つの方が信用に値すると思います。自分で測れればはっきりしますが、そういうわけにもいかいきません。比較対象が近くにある画像で確認したいんですが、都合のいい画像はなかなか見当たらないものですね。タバコを添えた写真でもあると大きさがわかりやすくていいのですけれども。

その中で、悪くない写真を発見しました。昨年、北京の故宮博物院でこの馬蝗絆が展示されました。その展示作業中の写真が以下のリンク先に掲載されています。

www.artslifenews.com

指3本分より少し高さがあるという感じ。つまり6.5cmほどでいいと思います。他の写真での口径との比率からも裏付けられます。

ちなみに、この故宮での展示のときの素敵な写真を千宗屋さんがインスタグラムに投稿されています。

www.instagram.com

1枚目の写真好きです。故宮に馬蝗絆が似合いますね。なんだか妙に収まりの良さを感じます。自然光入れているというのも羨ましいところ。東博にも自然光を入れられる展示室があるといいなあと思ったり。

附属品の写真

国指定文化財等データベースには以下の附属品が挙げられています。見やすいように箇条書きにしました。

  • 一、内袋:表黄地雲鶴文金入錦、裏白唐草文緞子。緒つがり紅丸打紐。
  • 一、挽家:深被蓋造、黒呂色塗曲物、身の下縁に三ヵ所梅花形鍍銀金物、身内貼繻子地丸紋銀襴。
  • 一、挽家袋:表蘇芳地木入間道木綿、裏浅葱地柘榴梅文緞子、緒つがり花色。
  • 一、箱:被蓋造内貼銀砂子料紙。
  • 一、添状:馬煌絆茶甌記伊藤東涯筆 一巻。

最終行「馬煌絆」はママです。このうち挽家はe国宝などで見れますし、馬蝗絆茶甌記は東博画像検索で全文確認できます。しかし、こういった公式の所では内袋や挽家袋の画像が見当たりません。そこで、探してみると、以下のサイトに写真が載っていました。素性が不明ですが、おそらく東博あたりで展示されていた折に撮られたものではないかと思います。とすれば、探せば他にも写真を撮って上げている人がいるかもしれません。

kenagegumi.jugem.jp

馬蝗絆茶甌記

馬蝗絆の伝来などについて記した伊藤東涯の『馬蝗絆茶甌記』。上掲の岩田さんの論文では「ちゃおうき」とルビを振っています。九州国立博物館 | 九博メルマガでも「ちゃおうき」。私は「さおうき」で耳馴染んでいますが、これからは「ちゃおうき」読みが広まっていくのでしょうか。

それはさておき、先ほどもリンクを貼った東博画像検索で読むことができます。また大正名器鑑. 第6編 - 国立国会図書館デジタルコレクション翻刻されています。更に、板橋村だより:陶磁器(11)-青瓷盤口鳳耳瓶(南宋/龍泉窯)に読み下しが載っています。こちらで大正名器鑑の翻刻を一部修正できます。

至れり尽くせりで、私が補足するとすれば落款印くらいでしょうか。引首印は「玩易清課」、姓名印は「長胤之印」、雅号印は「元蔵」。

2つの伝承

馬蝗絆には2つの大きな伝承があります。1つは平重盛浙江省杭州の育王山に喜捨した返礼として仏照禅師から贈られたものであるというもの。もう1つは足利義政の手にあったころ、ひび割れが気になり明に代わりのものを求めて送ったところ、このような優品はもう製造できないと鎹で補修して送り返してきたというもの。

前者については、一見して作り話だなという感じがします。価値を高めるためか、単なる気まぐれか、平家物語の話と結びつけたのでしょう。e国宝の解説では「龍泉窯青磁の作風の変遷に照らして史実とは認めがたい」と、時代の不整合も指摘されています。

後者もあやしいですよね。作り話臭が強い。裏付けがない限りは信じるに値しない話だと思います。この話、馬蝗絆茶甌記以前に遡れないようなんですね(重盛説話も同様)。さすがに時代が離れすぎて信用できません。

もっと言うと、この馬蝗絆についての記述が、馬蝗絆茶甌記以前に存在しないようです。馬蝗絆の由緒 - なにがし庵日記では、東山御物である(つまり義政旧蔵である)こと自体を疑い、「馬蝗絆は突然江戸時代に現れた茶碗のように見える」とおっしゃった上で、これらの伝承は伊藤東涯が当時の所蔵者にたのまれでっちあげたのではないかと主張します。

永青文庫館長の竹内順一さんも同様の見解を示されています。

室町時代足利義政の手にあった際、ひびが入り、中国に送って替えを求めたが、勝るものは作れないと鎹止めされて送り返されたと伝える。だがこれは、江戸中期の知恵者・伊藤東涯のでっち上げた話。中国風の絶妙な命名もそう。実際は中国で割れた青磁が修理され、日本にもたらされたのだろう。

「完璧でないから愛される」 修理品に価値を認める日本独特の感性とは | 紡ぐプロジェクト

「伊藤東涯のでっち上げた話」と断定する根拠はわかりません。ただ作り話であるということ自体は、まあその通りなのでしょう。

最後の一文にも注目したいところです。日本で割れたのを中国で補修して日本に伝わったのではなく、中国にあったものが割れて補修された後に日本に渡ってきたという考えなんですね。正否は判断できませんが話はシンプルになりました。

e国宝の解説には「内側に緞子(どんす)を張った中国製の漆塗りの曲げ物に入れられており、何らかの特別な事由で中国から運ばれた茶碗であることは確実である」とあって、ここらへんから渡来時期の推定ができないのかなと思ったりします。

ひび割れの原因

このひびを見ると、寒い時期にいきなり熱いお湯を入れてひび割れたように思います。

コラム/目利きのイチオシコレクション-朝日マリオン・コム-

上で写真を紹介した千宗屋さんの解説です。

遠州への献茶

ご先代の紅心宗匠が昭和25(1950)年3月19日に
「宗慶」の号の襲名披露茶会の折、
遠州公にお茶を献じる際使用されました。
宗匠とご縁の深かった室町の三井高大氏の旧蔵で

馬蝗絆(ばこうはん) – 遠州流茶道

当時は三井高大(1908-1969)所蔵で、没後東博に寄贈したようです。

もう1つの馬蝗絆 銘《鎹》

馬蝗絆青磁に非常によく似たものがあります。マスプロ美術館所蔵の青磁花茶碗 銘《鎹》。同じ龍泉窯の青磁花茶碗で、同じくひびが入り鎹で補修されています。ただしひびは1か所で鎹は3つです。

公式サイトの解説では、馬蝗絆とセットだったとして重盛伝承と義政伝承を附会しており、かえってあやしい感じを醸し出していますが、ものは確かなようです。2008年には徳川美術館の「室町将軍家の至宝を探る」展で馬蝗絆と並べて展示され、2016年には東京国立博物館平成館の「禅―心をかたちに―」展で、(こちらはなぜか)単独で出品されています。記者発表では九条館で並べていたようですね。

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『大正名器鑑』では馬蝗絆の項に参考として『茶道正傳集』の記述を引いています。

鉸茶碗と云て名物茶筌置有、但青磁の茶碗なり、大きなるひゞき一つ有、其所に外より鉸を二所かけたる茶碗也、但鉸は真鍮也元は医師道三所持、後織田三五郎所有に有之、今何れに有とも不知也。

附属品がはっきりしませんが、「織田三五郎の書、有楽の箱書き、愈好斎の由来書がついている」(青磁輪花茶碗「馬蝗絆(ばこうはん)」 - 宗恵の「一期一会」)ようです。

 これと全く同じものが「鎹」(マスプロ美術館所蔵)で、『清玩名物記』(1555)に十四点記載されているが、残りはすべて「本能寺の変」で失われた。

「馬蝗絆」 : fumi1202のブログ

この記述がよくわかりません。

鎹で補修された陶磁器は他にも

朝倉氏の本拠・一乗谷の遺跡からは馬蝗絆のように鎹で修理されたとみられる陶磁器が出土している。これは同遺跡から出土した百五十万点の陶磁器の中でも、中国河北省定窯で焼かれた12世紀頃の瓜型と輪花型の鉢、14世紀の青磁の下蕪の花生と片口という四点のみにみられる。

茶碗「馬蝗絆」|戦国日本の津々浦々

興味深い記述です。参考文献として「小野正敏 『戦国城下町の考古学 一乗谷からのメッセージ』 講談社 1997」が挙げられていました。機会があれば読んでみようかと思います。