大槻盤渓、顕微鏡で精子を見る

主吉雄南皐氏。南皐崎澳訳監某子。今就尾藩辟。以翻訳洋書為業。所著有観象図説。是夜借其所蔵顕微鏡。照小虫及布帛。𤼭則似蝦。蝨則似蟹。縐紗絹紬則漁網筠籠。其他不能一二記也。予嘗観精液奇状於様板解剖図中。欲得而照之。請之塾生。終点一滴視之。則無数蠃形。活潑蠢動。或走或躍。行住不定。如群蟻争聚。如蛣蟩浮游。至微至妙。殆不可状。予於是益信太西氏不我欺也。観了置酒微醺就寝。

『西遊紀程』(文政10年)3月4日条(抄)。西遊紀程. 巻上,下 / 大槻清崇 著から引用した。名古屋で吉雄南皐を主とし、顕微鏡を借りた記録。「𤼭」は不明。「蝨」はシラミ。「縐」は縮緬。「蠃」は巻貝か。「蛣蟩」はボウフラ。

この件、中村真一郎頼山陽とその時代』で知った(ちくま文庫版上巻p.123)。どうしても入れたかった挿話なのか、すこし話の流れに違和感があったりする。

松平春嶽「逸題」

権貴争登猿若坊、彩棚呼酒伴紅妝。吾生不喜区々技、坐見乾坤大劇場。

木下彪『明治詩話』(岩波文庫)に「昔は大名はもちろんのこと、士大夫は芝居など見向きもしなかった。それが明治に崩れ、貴人は争って妓女を携え猿若に走った。詩はこれを嘲笑して自ら王侯の気宇を表している」(p.93)と言う。

「棚」は小屋の意で、「彩棚」で芝居小屋のことだろう。芝居を「区々技」と腐している。「乾坤大劇場」は南宋・載復古「夏日雨後登楼」の「今古両虛器、乾坤百戯場」を踏まえるか。

早稲田の演劇博物館逍遥記念室に、「乾坤百戯場」と書かれた逍遥の書が掛けられていた。これは、グローブ座のモットー「Totus mundus agit histrionem」の漢訳という。もちろんその通りなのだろうけど、これもまた載復古の詩から取ったのではないかと思う。

市河寛斎「長源寺観楓」

山夾清渓水夾家、千林秋葉艶於花。斜陽閑倚闌干立、一道炊烟焼晩霞。

東京国立博物館が寛斎自筆の掛幅を所蔵している(B-3188)。展示されているときに添えられた釈文では2つの「夾」を「来」にしていたが、採らない。たとえば楊万里「過厳州章村放歌」に「両岸秋山夾秋水」とあるなど。字形上も意味上も「夾」でいいと思う。

結句の意味がよくわからない。晩霞を焼いているのは斜陽だと思うが。

題は東博の展示キャプションに載っていたもの。どこの長源寺なのかの説明はなかった。

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江馬細香「甲戌仲秋遊妙興寺、帰路失涼傘、戯有此作」

翠翠円陰不可離、当時聘得自京師。蓋遮高髻常相伴、柄託柔荑随所之。新霽秋山尋蕈日、微風春寺酔花時。一朝何棄吾儂去、畏景懐君如調飢。

文化11年秋8月、細香28歳の時の作。愛知県一宮市に現存する妙興寺で涼傘(日傘)を失くした時の詩。日傘を擬人化し、なぜ私を捨てて行ってしまったのと戯れる。

翠陰が青葉の陰なので、日傘の陰は「翠翠円陰」、それは離しがたい。京都から取り寄せたものだが、擬人化して礼を尽くして招くと言った。柔荑すなわちやわらかい女性の手(細香自身の手)が柄を取って、傘は頭を日差しから遮り、いつも携えていた。「之」は行く。「尋蕈」はキノコ狩りで、「新霽」雨があがって晴れ上がったころがいいのだろう。「酔花」は花見。いつも携えていたというのを春秋の具体例で示す。「棄」の主体は日傘で客体が「吾儂」わたし。「畏景」は左伝文公7年の「趙衰冬日之日也、趙盾夏日之日也」の項の杜預の注に「夏日可畏」とあり、夏の日差しとしたいところだが、ここでは仲秋の話なのでそのように強い日差し。「調飢」は朝の空腹感。それのように懐かしというのは少し座りが悪いような気もするが。

以上、福島 理子(注)『江戸漢詩選 女流』に依った。

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新日本古典籍総合データベース

頼山陽「赤関遇大含禅師師将東遊観富岳賦贈」

吾来泛火海、君往上富山、相逢赤関下、握手蹔破顔、雖無酒腸海不測、自有詩格山難攀、共把醒眼評山海、采真帰来重合歓、取吾火海火、融君富山雪、煎君雲華喫七椀、四腋生風凌列缺、与君下視大八洲、海如蹄涔山如垤。
禅師不解飲。其山産茶、名曰雲華。此回亦与余茗飲劇談。故云。

文政元年3月24日、西遊中の山陽は下関(赤関)にて、富士登山に向かう旧知の僧大含(雲華)と出会う。雲華は下戸なため、酒の代わりに彼の寺で産した茶(雲華と名付けられた)を飲みつつ、旧交を温めた。その時に送った詩。「無酒腸海不測」は下戸であることをいい、酒を飲んでないので酔眼ではなく「醒眼」と言う。

「喫七椀、四腋生風凌列缺」は唐・盧仝の「七碗茶歌」の「七碗吃不得也、唯覚両腋習習清風生。」に基づき、山陽雲華2人のため「四腋」とした。空を飛んで「列缺(稲妻)」を凌ぐ。

山陽が行くとしてる「火海」は肥(火)の国である肥後の海。その火で富士山の雪を溶かしてしまおうという、地名を使った戯れ。また空を飛んで地上を見下ろせば、海は「蹄涔」つまり蹄でできた凹みに水がたまった程度の小さな水たまり、山は「垤(蟻塚)」のように小さく見えるね。

伸びやかで明るく空想的な詩で読んでいて心地いい。

谷口匡『西遊詩巻:頼山陽の九州漫遊』(法蔵館、2020年)で知ったものであり、以上参考にした。上に挙げたのは「西遊詩巻」版で、のちに『詩鈔』『詩集』にも採られるが小異あり。

また谷口は「采真」について「自然に任せて作為を弄さない境地。『荘子』天運篇に見える言葉。」と注しているが、よくわからない。山陽の叔父杏坪の息子(つまり山陽の従弟)采真ではなかろうか。人名であれば帰ってきたので重ねて合歓すると意味が通る。采真がこのとき下関にいたかはよくわからないけれど。

葵正観世音菩薩碑(東京都台東区谷中・全生庵)

翻刻
東照宮守護仏 昆首竭磨作
正観世音菩薩
  普門山全生菴
(碑陰)
葵正観世音者南天竺昆首竭磨之作而  欽明帝
朝自西天所伝之霊像也爾来転旋伝鎌倉右大将及
室町氏代々将軍深加尊崇後留日向大慈寺又在洛
東福寺支院長慶寺我 東照宮崇尊尤厚竟遷之江
戸城毎月十八日修行観音懺法祈願天下泰平殊以
徽号葵字冠焉慶安二年天寿院殿建立普門山大慈
寺於大塚上街以刑部卿局為之開基香花久薫然維
新之際為廃寺故奉迎之余家供養匪懈明治十六年
一月創草一宇於北豊嶋郡谷中村号普門山全生菴
乃安置葵正観世音余概挙其来由以告後之渇仰者
 明治十六年五月  正四位山岡鐵太郎誌
寄附人名/本山国泰寺檀中
南兵吉/金田耕太郎/南清太郎/上庄六三郎/小川善三郎/金田八左衛門/南与平/岩間覚平

【年月】明治16年5月
【撰文】(碑陰)山岡鐵舟
【筆者】山岡鐵舟
【所在】全生庵(東京都台東区谷中)
【概要】
全生庵の本尊である葵観音の由来について記した碑。欽明帝のころに渡来し、頼朝、また室町将軍代々に伝わりという大げさな伝承もついている様子。平安時代後期の作と考えられ、日向・大慈寺から京都・東福寺塔頭・長慶寺に移り、さらに江戸に。大塚・大慈寺に安置されるも廃寺となって、明治16年全生庵の本尊として迎えられたとのこと*1。塀のすぐ前に建っているため碑陰をみるのは難しく、何枚もの写真を撮ってなんとか読むことができた。裏はわりと状態いいが、表はそれなりに傷んでいる。破損と変色があるので、戦時中に爆弾の被害でも受けたのだろうか。
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観世音菩薩表徳碑(東京都台東区谷中・全生庵)

翻刻
慈眼視衆生 独園拝書「」
常念観世音菩薩「」(観世音菩薩画像)「鐵舟」
福聚海無量 滴水拝書「」
広群鶴刻
(碑陰)
観世音菩薩表徳碑
千葉立造君妻名曰冨喜性敦慤貞実年四十罹病漸篤
一日召子女懇諭後事及夜半気息奄奄君将報親戚冨
喜曰待明旦亦不晩君問其故冨喜曰妾二十一歳時有
感焉願観世音菩薩以豫知死期苟知死期従容待命無
醜態爾来昼夜念之十八年死期之至菩薩必有告乎因
安睡少時忽然開眼曰今呼妾曰尚早矣誰也一座無呼
之者乃又歎曰是焉知非菩薩告妾哉妾必不死矣後果
如其言遂回生云嗚呼菩薩妙応可仰信而冨喜一誠亦
可称矣君将立石以表之於是鐵舟子画菩薩像掲以正
国師所書尊号独園滴水二師亦各書其経中偈益皆
有所感也而叙其概者高橋精一也
 明治二十七年三月    泥舟居士撰併書

【年月】明治27年3月
【撰文】(碑陰)高橋泥舟
【筆者】白隠、鐵舟、滴水、独園/(碑陰)高橋泥舟
【石工】広群鶴
【所在】全生庵台東区谷中)
【概要】
鐵舟筆の観音像が彫られた石碑で、他に白隠による尊号、滴水と独園の偈、更に碑陰には泥舟による建碑の経緯がつづられている。浅学のためはっきりと意味がつかめないところもあるが、観音信仰による奇蹟で、重い病にかかった人が生き返ったというようなことだと思う。奇跡の本人は、鐵舟の侍医である千葉立造(愛石)の妻。真後ろに塀があって碑陰は見づらい。また一部損傷している。印は「鐵舟」以外読めなかったので空欄にした。ご教示いただければ幸いです。鐵舟、私淑する白隠、師滴水及び独園、そして泥舟となかなか役者のそろった名碑だと思う。
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